2005-10-20 第163回国会 衆議院 日本国憲法に関する調査特別委員会 第4号
そして、国境はハリネズミのように武装されて、国民皆兵、一年じゅうスイスの田舎町のどこかを教練のカーキ色の歩兵や訓練中の兵隊が歩いている。
そして、国境はハリネズミのように武装されて、国民皆兵、一年じゅうスイスの田舎町のどこかを教練のカーキ色の歩兵や訓練中の兵隊が歩いている。
これをこのカーキ色に統一いたしまして、正規の商品には全部このケースを使う、べータには白いふたを使うというようなことで対応をしたわけでございますが、実はこのふた自体がまた流通してしまいました。これも効果がなくなったということで、業界としてはいろいろと苦慮してきたわけでございます。
アメリカの武器の技術をもらっていたんだというのは、カーキ色の軍隊、MPがいっぱいいたころの話ですよ。今は逆なんだ。向こうが買ってくれというのは農産物、こっちが売るのは先端技術なんですから、そういう問題ではよだれが出るくらい向こうから汎用技術としての軍事技術を、括弧をつけて欲しいと言ってきているわけだし、レーガンの来る前の晩には急いでやったというぐらいのことがあるわけでしょう。
そういう意味ならば私もある程度理解はできるのでございますけれども、どうも総理のお話を聞いていますと、余りそういう方向ではなくて、何かお話の中身というのは、まあ色で言えばカーキ色というのでしょうかね、音で言いますと軍靴の音が大変聞こえてきて、そして不沈空母に乗せられて日本人は一体どこへ行くのだろうかと、そういう部分だけがどうも色濃く出てくるわけなんですね。
中略「逃げた二人のうち、一人は身長約一六〇センチで、カーキ色のコートを着、サングラスをかけていた。残る一人は二十二、三歳でグレーのコートを着ていたという。」 この最後の指摘は、警察の調査に合いますか。警察、どうですか。
これは私が金を借りに行ったわけではありませんけれども、偶然に参りましたら厚生年金証書、カーキ色のこの程度の大きさのものです、これが山積みになっておるわけです。そして私ははっと胸を実は打たれたわけです。厚生年金は御存じのように「保険給付を受ける権利は、譲り渡し、担保に供し、又は差し押えることができない。」と書いてある。ただし、国税滞納処分者は別だ、税金は別だと書いてある。
ことにアメリカとの間どころではない、先ほど御引用になりましたおことばにもありますように、「さきには本土のためのたてとなり」ということばに非常にはっきりあらわれているように、敗戦以前にもう、まさに二十六年前の六月二十三日、いつも私も覚えておりますけれども、あの凄惨な戦闘で失われて、今度本土に復帰するとなれば、もうカーキ色というのは見るのもいやだというそのお気持ちも非常によくわかるし、返るならば、基地なんか
そのことが、先ほども私は言い過ぎたかと反省しておりますけれども、たとえば自衛隊の問題にしましても、要するに県民の方々のお気持ちは、あの凄惨な世紀の大激闘の中で、二十六年前ああいう目におあいになった御経験からすれば、このカーキ色自体は私はとてもしゃくにさわるとお考えだろうと思うのです。
それから、くどいようでございますが、たとえば自衛隊に対する沖繩の方々の、カーキ色であるということで何とも抵抗感を感ぜられることも、先ほど言いましたようにわかりますけれども、これは米軍の肩がわりというものではないということは、先ほども昨日の安保協議会のことで御質問があったときにもお答えしたような次第でございます。
いまおっしゃいますカーキ色のは作業服にそういうのがございますので、これの執行にあたりましては、当然その身分が明らかになる制服を着用した上でやるように指導したいと思っております。
○和田(一)委員 ずいぶんきびしい条件でございますけれども、そこで、先ほどの服装の問題になるわけですけれども、服装は紺のダブルまたは黒のダブルということでありましたけれども、消防の皆さん方はそういう制服を着る場合もあれば、昔の戦闘帽のような姿でカーキ色の服を着る場合もあるわけですね。その場合はどうなりますか。
カーキ色のこのような服で、厳重なくつをはいて、しかもヘルメットを持っている。社会党本部の書記局員がヘルメットをかぶっているわけじゃないのですよ。このような服装をして棒を持って、しかもその棒を出すようにして押しかけるということは、明らかにこれは単なる抗議ではない。明らかに乱入といいますか、襲撃と申しますか、そういう意図を持って行ったというふうに考えざるを得ないじゃありませんか。いかがですか。
そうすると聴衆の中からは、カーキ色の服を着たのが飛び出してきて、その候補の右翼的な言辞に対して抗議を発した男に飛びかかってきて乱暴を働こうとしたことがあったやに報ぜられておるわけです。
ところが、戦後の東南アジア各国を歩いてみますると、カーキ色を着たような日本人が再び来ることは歓迎しないけれども、しかし、われわれの国土を開発してくれるような技術部隊は大いに歓迎するという意向があるわけです。
あの憲法、あの独禁法というものはアメリカさんの支配のもとにこういうものを作れというのであのカーキ色の思うままのものができておるのだ。全く日本の政府、議員の皆様方がお考えになっていない、皆様方日本の純粋な独自の立場で政治ができる政府であればああいうような内容のものはできなかったと思うのでございます。あの内容はもちろん時代とともに、国情あるいは人情というもの、社会というもの、これは変遷いたします。
そうしてさらに突っ込んで考えますならば、同じ中央病院においても、カーキ色の者もネーヴィ・ブルーの者もあるというのでなしに、少くとも医官くらいはグリーン・ユニホームと申しますか、三自衛隊一緒になったものを着て、ほんとうに一致して衛生面、医薬面を研究させるようにしたならば、限られた予算の中でもそれがうまくいきはせぬか。
その方の同僚が現在保安庁というのでしようか何というのでしようか、要するにカーキ色の服を着て鉄砲を持つた方々の中で、失礼な言葉を許して頂きたいが、恐らく得意になつているのじやないか。実際明治以来休む暇もなく日本国民を戦争の下に駆り立てて、そうして国民のあらゆる涙というものを、ただ戦勝と凱旋の凱歌というもので圧倒して来た。
しかし軍のカーキ色の服をつけておりました。階級章つけて行くのは、どこに行くのか、ぼくはよくわからないのですが、何でも少し先に行くと、日本軍時代の憲兵司令部があつたのですが、そのあとで、裁判関係の教育をする学校があつたのですが、そこへ行くのには階級章をつけて行くのは、たまに見たことがありますが、その階級章がどのくらいの階級章であるかということは、聞かなければわかりません。
持つて行つたことについては、そういうわけで、その当時の頭としては、もうあしたにもどうなることやら、まして上司からいろいろなデマも飛ぶし、特に、私たちのところは、兵隊ばかりでなくて、一般工員の方々が大部分で、おそらく九五%というような数字が当時で言えば背広姿、カーキ色姿が五%ぐらいだと思います。その中で、一ぺんにああいう状況になつて、瞬間呼び出されて、持つて行けと言われて持つて行つた。
なるほどわれわれは戦後は汽車の窓から物を背負つて、この年齢で窓から入つたり出たりするような思いをして、食糧や生活品を運んだ、自分のからだまでもそういう状況において運んだ、そうして着物はといえば、カーキ色の色あせたもの、破れたもの。しかしだれもそうだからはずかしいとは思わなかつた。しかし今日のようにたれさまのおかげか知らぬけれどもみんなが——私もそうです。
○田村文吉君 大西さんに伺いますが、綿布の場合ですね、大量に使われる今のカーキ色であるとか、或いはブルーであるというようなものが仮に二割の関税がかかるかからないにおいて、全体の製品或いは原価に及ぼす影響は何パーセントですか。
○波多野鼎君 私が聞いておるのは、今から一年ぐらい前をとつて、その間にカーキ色、グリーンいろいろ使われておつたと思いますが、どういう種類の色が一番総量として多く使われたかということです。
そのほか署長室にありました警棒二本、警察手帳、帽子一つ、腕章一つ、階級章一つ、それから次席警部の私物のこうもり一つ、ステツキ一本、手拭一本、それから矢吹公安委員のこうもり一つ、そのほか署員の私物で、風呂敷とか、カーキ色の上衣一つがなくなつております。それから署員の負傷の状況は金田という警部補以下十名になつておりますが、重いのは三週間、安齋美好巡査が頭部打撲あるいは腕の打撲になつております。
それからカーキ色の上着の服で、事務室の経済係の腰掛のところに置いた渡邊仲吉という人のものがなくなつておりますが、これは私物ですか、官物ですか。